SADCのこと(1)

昨年と今年、SADCの現場監督やりました。
(SADC→札幌アートディレクターズクラブのこと、2001年設立 以下SADC)

デザイン団体やコンペティションを行う上で
自分のフィルターを通してこういう団体ってどういう役割があるのかとか
必要なのかというのをオープンな場でいろいろ考えてみたいなと思い、
自分の体験記とともに、SADCのはじまりを振り返りながら
文書に残したいと思います。
きっと長いので、ゆっくりやりますね。


SADCのはじまり

SADCができたのはひと昔前の2001年。
2001年自分がなにをしていたかあまり思い出せませんが
今とは大きく異なるのは情報を得たり、
発信する方法は大きく違ったのは覚えています。

FBが2004年、Twitterが2006年、mixiは2004年に開始。
WordPressの初版が2003年。うわ、それより前なんだ。昔だ。

ちなみに2002年のオンラインマガジンSHIFTに
こんな記述が残っていました。
http://www.shift.jp.org/ja/archives/2002/06/tiger_magazine.html

タウン情報系の媒体関係者と話しをすることがあるが、その中で必ず話題にでるのは
「札幌にはカルチャーの良いネタがない」ということ。

今なら、探し回れば一発で出てくる情報も、
関係者の人が情報を見つけることができていないのが伺えます。
(そのあと「そんなことはない」と言う作者の通り探せばあるんでしょうが、
ジェネレーションギャップや検索下手だったり、あるかもしれません。)

話はもどりまして
SADCを作った人たちはどういう気持ちではじめたのでしょう。
私は立ち上げメンバーじゃないので、立ち上げの概要が
それを教えてくれます。

参照 (http://www.sapporo-adc.com/about

SADCのクラブ概要の中では
個人や自らなどの言葉を多く使われ
ただコンペを行うための団体としてではなく、
個人が重視されています。
会社という枠から飛び出して、同業者との意見交換などを行う
サロン的な役割を持とうとしています。

また、「自分の業界、盛り上げるのは自分たちでやろう」
ということを掲げています。
この自分の業界というのは、デザイン業界全体というより
札幌の広告デザイン業界のことですね。

当時札幌デザイン業界がどうだったかはわかりませんが、
業界紙などで取り上げられることは少なかったと思います。
東京の3年遅れなんてネガティブキャンペーンもありました。
(言ったほうも言われたほうも、こじれてますね〜)

ただ、この概要は自分たちを大きく
売り出したい(でかい仕事がしたい)という感じはしません。
大きなものにコントロールされたくないという感じもします。

この産声は「面白いやつはここにもいます」という
同業者(都会)へ向けてのメッセージに近かったんじゃないかと。

創設時代をはじめの3年だと考えると
話のネタとして十分だと思うし、
様々な人たちが参加しました。

ゼロ年代、札幌のグラフィックデザイン業界に
大きく影響を及ぼしたのは
多分、間違いないと思うのです。


(2)へ続く