SADCのこと(2)

もう備忘録みたいになってますが…引き続き書いていきますね。

SADCの一番大きな活動として
年に1度エントリーを募り、公開審査を行い、受賞作品を発表します。
これを審査会(コンペティション&アワード)と呼びます。

そもそも審査会は、前の記事でもかいたとおり
賞をとるという以前に、作ったものってどう見られるのかという
フィードバックを求めるためのものです。
インターネットで作品が発表できる今となっては、
価値が少しうすまっているかもしれません。
賞に関しては、また別の機会に書きたいと思います。


創設時代のSADC審査会

2001〜2004年あたりが創設時代として、
現在札幌を代表する40代後半〜60代のデザイナーほぼすべて集っていました。
2001年のグランプリはEXTRA DESIGN※ほか、
受賞作品をみると札幌の制作会社が多くひしめいています。

SADCの受賞アーカイブ
※EXTRA DESIGN:とくに私の同年代の人たち30代に多く影響を及ぼした佐藤暢孝さん佐々木信さんのお2人。現在はEXTRACTと3KGに分かれて活動されてます。

このころSADCは生まれたてのひよこ状態。
自分の業界にどのような影響を与えるか?ということはまだまだ未知数で
運営メンバーの声かけのもと
もの珍しさも手伝ってさまざまな人たちが集まったのではないでしょうか。

2004年頃からは、私も、社会人になりSADCに足を運びはじめます。
この頃は、「賞をとることの意味や価値」について
様々な人たちが考えはじめる時期です。

40代の方はSADC運営に対し、意見をもつ方がとても多いのです。
これは、「賞をとることの意味や価値」について多くの人たちが、
自由に議論できたことの現れだと思います。

審査会の方針については仕事が評価されるべきだという人と
面白いものが評価されるべきだという意見の二極化しているように見えました。
これは、SADCの審査で自主制作を許可し、
仕事と仕事でない制作物を一緒に並べ審査するという方法をとっていたためです。

(ただ「自分がやっていること」「自分がやってきた仕事」に主軸をおいて
語り始めるとこの議論は平行線になってしまうと私は考えます。
この後10年のアーカイブとSADCのクラブ概要を鑑みるに
「どちらかに偏りをもたせることがよい結論にまず至らない」
ということがわかります。)

当時は団体というものができたのがはじめてということもあり、
クラブの目的や概要が浸透していなかったのではないでしょうか。
また立ち上げメンバーからの影響を間近で受けながらも、
徐々にこれはやりたいことと違うと感じた濃密な時間があったのでしょう。

そこはデザイナー同士、それぞれ主義主張が違いますから当たり前です。
このクラブの始動と平行してインターネット上では
さまざまなコミュニティが生まれはじめます。
そのことも一因になるでしょう。
「違うな」と感じた何組かはSADCを離れ、
その後、若く新しい参加者が増えはじめるのでした。

(3)へつづく

ドラマレビュー02

もうすぐ12月ですねー。今回は、胸糞わるい(褒め)2作品を紹介します。

11月は、ハウス・オブ・カード 野望の階段をみていました。
デヴィッド・フィンチャー総指揮の作品なのですが政治のパワーゲームは見ていると
結構精神的にやられるんですよ。
そんなの薦めるのもおかしいんですが…面白いんです。

豪腕の政治家である主人公が、もうとにかく手段を選ばずに弱みにつけこんだり、
嘘をついたりして、これまたすごいタフな妻と一緒に大統領になるためにのし上がっていくんです。
しかも裏切ろうとしたやつは殺ったり刑務所送りにしたりして。
そのやりとりがまた面白いんです。

のし上がったら、それはそれで足を引っ張られたり
ライバルが邪魔してきたり、主人公もかなり苦戦する部分もあるんですよ…
それでも奮起して事を進めていく姿がホワイトハウスを舞台に描かれています。

主人公の豪腕さと対照的に大統領というものすごい重圧と戦えない政治家が
失脚していくところも描いていたり、騙されたり利用されて主人公から離れていく人たちも描いていて、
この描き方は素晴らしい。
どんなことがあってもステージに立ち続けることを追い求める生き方は男性的で
フィンチャー作品の魅力であると思います。
そしてまさに闘い続けることが政治家としての姿だなあと思うんです。が。

でもなんか、本当に途中から感情移入できなくなるんです。
その「事の進め方」がめちゃくちゃなことが多かったり、
日本人から考えるとありえない部分が多かったり、自分本位すぎて、

「ああ、いつこの夫婦破滅するんだろう?まだ?まだ?」

みたいな、苛立ちの気持ちがわいてくるんですよ。

そんなことを、この作品に期待するのが間違ってる…そもそも…とか思うともう色々疲れてきて、シーズン5はじまるあたりで観るのをやめました。
でもこんなに語りたい気持ちになるドラマでもあるんです。
だから、諦めたことは、複雑な思いです。

主演のケヴィン・スペイシーが最近のハリウッドセクハラ問題※で
暴露されてしまったのもあり、シーズン終了ーーー。
良いラストを迎えられるのか、ちょっと気になります…。

※ケヴィン・スペイシーのセクハラ問題:アンソニー・ラップ(当時子役)へのセクハラを暴露され、2017年ケヴィン・スペイシーは主演ドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」から事実上のクビになった。この疑惑をきっかけにゲイだと公言してうまくおさめようとしたところ、非難轟々。疑惑への回答も主人公のフランクっぽい豪腕っぷりが「綺麗事でおわらせるな」というバッシングに。その後、ハウス・オブ・カードの現場でも8人からセクハラをうけたと暴露されている。

さてデヴィッド・フィンチャー監督といえば、NETFLIXで
新しいドラマ「マインドハンター」シーズン1が公開!


舞台は、1970年代のアメリカ
そしてふたりのFBI捜査官
…ってなんだか「セブン」※思い出しますね。

1970年代は社会が複雑になってくるとともに、
「どうせ物取りが焦って殺したんだろ」とか
「痴情のもつれだろ」とか、そんな動機じゃ済まされない
快楽殺人、連続殺人の犯行が増えてきた
そんな時代でもあります。

FBIで人質交渉の担当してたけど失敗し、
大学で講義をしていた若き捜査官ホールデン。
犯行を防ぐためには犯人に聞き取り調査し、
分析して今後の捜査に活かすんだ!と行動にうつします。

このドラマでは、一進一退繰り返し
犯罪心理プロファイリングが確立していくさまが
描かれています。胸糞悪いけど!

ちなみに映画「羊たちの沈黙」※で、
クラリスがクロフォードに頼まれて
ハンニバル・レクターに会いに行って調査していたのは
このプロファイルのデータ集めが目的。
プロファイリング確立後の舞台ってことになります。


豆知識としてプロファイリングが導入されるまで、
FBIの犯罪検挙率はけしてよくなかったようです。
(州の独立性、法律などがあり共有できる情報も多くなかった)
そのためにも様々な学問を取り入れ検挙率をあげることを
上層部から求められていたと考えられます。

斯くしてFBI行動科学課のビルと組んで
全米を調査してまわることになったホールデン。

狂人に近づくために狂人のことを知るしかないんだ…
でもね、ずっと接してたら、
捜査官の心も歪んで荒んでいく…!
また暗くてねちょねちょして胸糞悪い方向へw

好きなかたはぜひ観てください!

※「セブン」(Se7en,1995):七つの大罪をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、その事件を追う刑事たちの姿を描いた作品。 フィンチャー監督の出世作。ケヴィン・スペイシーも犯人役で出演!
※「羊たちの沈黙」(The Silence of the Lambs,1991):アカデミー賞主要5部門受賞の言わずと知れたサイコサスペンスの名作。この作品がきっかけで「プロファイリング」という言葉が日本で知られるようになったと言われている。

SADCのこと(1)

昨年と今年、SADCの現場監督やりました。
(SADC→札幌アートディレクターズクラブのこと、2001年設立 以下SADC)

デザイン団体やコンペティションを行う上で
自分のフィルターを通してこういう団体ってどういう役割があるのかとか
必要なのかというのをオープンな場でいろいろ考えてみたいなと思い、
自分の体験記とともに、SADCのはじまりを振り返りながら
文書に残したいと思います。
きっと長いので、ゆっくりやりますね。


SADCのはじまり

SADCができたのはひと昔前の2001年。
2001年自分がなにをしていたかあまり思い出せませんが
今とは大きく異なるのは情報を得たり、
発信する方法は大きく違ったのは覚えています。

FBが2004年、Twitterが2006年、mixiは2004年に開始。
WordPressの初版が2003年。うわ、それより前なんだ。昔だ。

ちなみに2002年のオンラインマガジンSHIFTに
こんな記述が残っていました。
http://www.shift.jp.org/ja/archives/2002/06/tiger_magazine.html

タウン情報系の媒体関係者と話しをすることがあるが、その中で必ず話題にでるのは
「札幌にはカルチャーの良いネタがない」ということ。

今なら、探し回れば一発で出てくる情報も、
関係者の人が情報を見つけることができていないのが伺えます。
(そのあと「そんなことはない」と言う作者の通り探せばあるんでしょうが、
ジェネレーションギャップや検索下手だったり、あるかもしれません。)

話はもどりまして
SADCを作った人たちはどういう気持ちではじめたのでしょう。
私は立ち上げメンバーじゃないので、立ち上げの概要が
それを教えてくれます。

参照 (http://www.sapporo-adc.com/about

SADCのクラブ概要の中では
個人や自らなどの言葉を多く使われ
ただコンペを行うための団体としてではなく、
個人が重視されています。
会社という枠から飛び出して、同業者との意見交換などを行う
サロン的な役割を持とうとしています。

また、「自分の業界、盛り上げるのは自分たちでやろう」
ということを掲げています。
この自分の業界というのは、デザイン業界全体というより
札幌の広告デザイン業界のことですね。

当時札幌デザイン業界がどうだったかはわかりませんが、
業界紙などで取り上げられることは少なかったと思います。
東京の3年遅れなんてネガティブキャンペーンもありました。
(言ったほうも言われたほうも、こじれてますね〜)

ただ、この概要は自分たちを大きく
売り出したい(でかい仕事がしたい)という感じはしません。
大きなものにコントロールされたくないという感じもします。

この産声は「面白いやつはここにもいます」という
同業者(都会)へ向けてのメッセージに近かったんじゃないかと。

創設時代をはじめの3年だと考えると
話のネタとして十分だと思うし、
様々な人たちが参加しました。

ゼロ年代、札幌のグラフィックデザイン業界に
大きく影響を及ぼしたのは
多分、間違いないと思うのです。


(2)へ続く