デザインっていつから、「形状を作る」「色を決める」「視覚的な構成をする」ってふうになったんでしょうかね。元来は目的のためにあるべき姿を整える、計画するってことだと思うんです。そういう意味で、営業だって営業の仕方のデザインがあるし、経営者だってビジネスモデルのデザインがあると思うんですよね。形骸化されたクリエイター選民思想がデザインを駄目にしているんだと思います。むしろグラフィックデザイナーは「視覚的なデザインしかできない不自由な職業」と捉えるべきかと。
ウィリアムモリスが行った運動がデザインの源流をつくったといわれてますが、モリスの時代にタイムマシーンで遡ってみたいものです。笑>形骸化されたクリエイター選民思想がデザインを駄目にしているんだと思います。本当ですね。カイシさんの意見直接会って伺いたいですね〜。今の日本で選民思想の人は危険だと思います。あまり語れるほど理論的な性分ではないのですが、カテゴリをステータスにしてしまうことこそ本質が見えてないことを露呈してしまうだけの行為のように思えてきます。競争は大事だけど、対立するのはまた別な話。生き方に共感したりファンになったり、自分がもってる材料でなにが出来るだろう、とか普段の生き方のシンプルなところに答えがある気がしてます。
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デザインっていつから、「形状を作る」「色を決める」「視覚的な構成をする」ってふうになったんでしょうかね。
元来は目的のためにあるべき姿を整える、計画するってことだと思うんです。
そういう意味で、営業だって営業の仕方のデザインがあるし、経営者だってビジネスモデルのデザインがあると思うんですよね。
形骸化されたクリエイター選民思想がデザインを駄目にしているんだと思います。
むしろグラフィックデザイナーは「視覚的なデザインしかできない不自由な職業」と捉えるべきかと。
ウィリアムモリスが行った運動がデザインの源流をつくったといわれてますが、モリスの時代にタイムマシーンで遡ってみたいものです。笑
>形骸化されたクリエイター選民思想がデザインを駄目にしているんだと思います。
本当ですね。
カイシさんの意見
直接会って伺いたいですね〜。
今の日本で選民思想の人は
危険だと思います。
あまり語れるほど理論的な性分ではないのですが、カテゴリをステータスにしてしまうことこそ本質が見えてないことを露呈してしまうだけの行為のように思えてきます。
競争は大事だけど、
対立するのはまた別な話。
生き方に共感したり
ファンになったり、
自分がもってる材料で
なにが出来るだろう、とか
普段の生き方の
シンプルなところに
答えがある気がしてます。
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