小さい頃、実家にあった
マイケル・ジャクソンのPVが録音されたビデオ。
休日に家族で「Thriller」をみて、
笑ったり怖がったりしてた。
「Beat It」や「Bad」を見てとても憧れた。
音楽だけでなくダンスも含めた
リズムや全体の演出に魅了された。
何度観ても飽きない、子供がみても大人がみても
楽しめるエンターテイメント・ビデオ。
今思えば、
私がはじめて興味をもって真似して口ずさんだ
海外の音楽アーティストだった。
金曜、マイケル・ジャクソンが亡くなった。
世の中の人(私も含めて)は
ゴシップまで酒のつまみにしてしまう位、
彼の全てをエンターテイメントだと思っていた。
ある時はいわれの無い噂、沢山の邪念の中で、
ひとり子供のような純粋さを保っていたことが
みんなの不信感を増長させ多くの
バッシングとなった。
(すべての真相は明らかでないし、今も
よくわからない。マイケルはもう
いなくなってしまった。)
そんなゴシップを楽しんだ観客達が
訃報を聞いて一斉に追悼を送った金曜。
彼が亡くなったという事実で、
改めて彼の本質をみんなが見ようとし、
探し求めはじめた。
でも彼はもういない。
かえられない事実が胸に刺さる。
とても悲しい。
マイケル・ジャクソンを見ていると
映画の「A.I」の主人公デイビットと
リンクしてしまう。
(正直「A.I」おとぎ話的なストーリーは
個人的に苦手なのだけれど…)
King of POP マイケル・ジャクソンの器の中に
いる子供のまま孤独と戦う少年の姿が
見えてくるからだ。
「A.I」ロボットの少年デイビットが
愛されるために(人間になるために)旅をし
エンディングではその無垢な姿をもって
哲学的な人間の意味を私達に問いかける。
「人間とはいったいなんなのだろう?」と。
ショービジネスの世界が作り出した
King of POP マイケル・ジャクソンという器は
私達にとって夢のヒューマノイド
そのものだったと思う。
しかし、ロボットの枠から飛び越えて
人間になろうと無謀にも思ったデビットのように、
マイケルは、
他のだれでもない自分の人生のために
一人歩きする夢のヒューマノイドの器と
器に入った少年の自分との矛盾を
完全に無くすことをどこかで決意したはずだ。
彼がこれまでやってきた功績を見れば
マイケルがこの問いに自分なりの答えを
出したことが見てとれる。
R.I.P from sapporo.
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